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生まれ育った地で相模原の名産を栽培。やまといもで農業と地域を元気に

相模原市内ではいろいろな農産物が作られていますが、やまといもは地域を代表する作物のひとつ。相模原台地の黒色火山灰土が栽培に適していて、「さがみ長寿いも」の愛称で親しまれています。
 
現在相模原市内では75件ほどの農家がやまといも栽培を行っています。その中でも広い面積で栽培しているのが佐藤隆一さん。栽培面積は3,000坪(1町歩)に及びます。1998年に妻の節子さんとふたりで始めたときは300坪(1反)でしたが今では10倍にまで拡大。そこにたどり着くまでの佐藤さんの挑戦について、お話を伺いました。

プロフィール
佐藤隆一(さとう・たかいち)
1948年相模原市上溝地区に生まれ、現在も在住。10年間、会社に勤めたのち、30歳の時に家業を継いで妻の節子さんと農業に従事。養蚕や複数の野菜栽培を手がけたあと、出荷用作物をナスとやまといもに絞って栽培を行っている。2023年10月に行われた「潤水都市さがみはら第59回相模原市農業まつり農畜産物共進会 坪堀りやまといもの部」で優秀賞を受賞。


代々続いてきた農家を継承

やまといもは千葉県や埼玉県が産地として有名ですが、相模原市内で栽培されるやまといもは特に粘りが強く、味も濃いと高く評価されています。市内でやまといもが栽培されるようになったのは昭和30年代のこと。現在では市を代表する農産物のひとつです。
 
上溝地区に住む佐藤隆一さんは、3,000坪(1町歩)の畑でやまといもを栽培しています。市内のやまといも栽培農家の中でも栽培面積は最大級です。
 
佐藤さんが作るやまといもは相模原市内では大手スーパー、JA相模原市 農産物直売所 ベジたべーなで販売されている他、通販でも販売。北海道から沖縄まで、さらに、やまといもの産地である千葉県などからも注文が舞い込みます。その年の分が届けられると「来年もお願いします」と毎年注文するリピーターや、「おいしかったから友達に贈りたい」と贈答品に選ぶ人も多いのだとか。
 
佐藤さんの家族は代々続く農家です。お墓には約300年前の江戸時代前期・元禄と刻まれたものまであるというほど、一族は古くから上溝地区で暮らしてきました。
 
2人の姉を持つ末っ子だった佐藤さんは、幼いころからいずれは家業を継ぐと考えていました。1978年、30歳になるのを機に10年勤めた会社を退社。それまでは休みの日に行っていた農業に本格的に携わり始めました。

上溝地区は、明治から昭和にかけて養蚕で栄えた地域です。佐藤さんが家業を受け継いだときも養蚕が主な生業でした。しかし平成に入ると和装需要の減少、外国産シルクの流入で産業全体が衰退。養蚕以外に何をしようかと考えていたときに出会ったのがやまといもでした。

「キャベツとかジャガイモとか、作物はひと通り栽培しました。だけど働き手は女房と2人きり。作物を絞る方がいいと考えたとき、農協から勧められたのがやまといもでした。相模原の特産品だというのも後押しになりましたね」

相模原市で収穫されるやまといも(※写真はイメージです)

そのころすでに相模原市内ではやまといも栽培が定着。黒ボクと呼ばれる富士山の火山灰由来で水捌けが良く柔らかい土のおかげで、おいしく育つことがわかっていました。そして佐藤さんは1998年に300坪(1反)からやまといも栽培をスタート。50歳からの新たなチャレンジでした。

なくてはならない援農システム

収穫を手伝う援農ボランティアの方々

やまといもは品質がいいものは高く取り引きされる一方で、他の作物に比べると手間がかかり、栽培も難しいと佐藤さんは話します。
 
栽培は1月、2月に種いもの準備をすることから始まります。根と芽が出た種いもは、5月に畑に植えます。その前後にも虫の発生や病気を防ぐために畑の消毒を行ったり、夏の暑い時期に草取りをしたりとさまざまな作業があり、3,000坪(1町歩)の畑での作業は重労働です。
 
収穫の時期を迎える11月はほぼ休みなし。収穫したやまといもはヒゲのような細い根っこと、表面の土を丁寧に取り除いてはじめて商品になります。出荷のためには選別や箱詰め作業もしなくてはなりません。


佐藤さんがこれほど手間のかかるやまといも栽培を当初の10倍の面積まで広げることができたのは、JA相模原市の援農ボランティアという仕組みのおかげ。夫婦2人きりではとても拡大できなかったと話します。
 
援農ボランティアとは、人手不足に直面する農家をサポートする人たちのこと。ボランティアといっても2年から3年にわたる研修を受け基礎知識や技術を習得した人たちです。農家から報酬も支払われる仕組みで、相模原市と相模原市農業協同組合が連携して運営しています。
 
佐藤さんは相模原市で援農ボランティアを受け入れた初の農家です。「農家はほとんど家族以外の人を頼ることをしていなかった。うちは養蚕をしていたころに地域の人に頼った経験があったんですよ」と思わぬところで養蚕の経験が役に立つことになりました。
 
最初に受け入れた援農ボランティアには収穫後の作業を手伝ってもらいました。冬の寒い時期に外で行う作業で、本当に助かったと振り返ります。それ以降は収穫、植え付け、種いもの準備などいくつもの作業を手伝ってもらうように。2023年は延べ150人もの人たちが佐藤さんのやまといも栽培に参加しました。ほとんどの人が繰り返し従事していて、いくつもの農家での作業経験も積み重なり、技術も知識も豊富です。
 
「夫婦2人なら1週間かかる作業をたった1日で終わらせられます。そのおかげで3,000坪(1町歩)の畑での栽培が可能になったし、他の畑仕事ができる」と佐藤さんのやまといも栽培にとって欠かせない戦力です。

やまといもを栽培する畑の一部

佐藤さんの畑や作業場には、やまといもの作業がある時期はほとんど毎日のように援農ボランティアが来ています。収穫を行う11月は、週2回、計8回12人ずつ援農ボランティアがやってきます。収穫日以外も月曜日から土曜日まで、「常に7、8人がうちに来てくれています」とのこと。9時から16時までが援農ボランティアの作業時間ですが、佐藤さんはその前に早起きして別の作業を行ってから一緒に作業を行います。
 
援農ボランティアに従事する人たちは、農業に興味を持ったという60代以降の男性がほとんどでしたが、近年は子育てがひと段落した50代前後の女性も増えてきました。朝、皆さんが集まるとまずはお茶を1杯飲んでから仕事を開始。「ただお茶を飲むだけじゃなくて、みんなで話しながらね。いろんな話が聞けておもしろいですよ」と、妻の節子さんもコミュニケーションを含めて楽しんでいるようです。

もっと良質なやまといもを育てるために

援農ボランティアのおかげもあって、佐藤さんはやまといも栽培の研究にも勤しんでいます。やまといもは、イチョウ型、バチ型などと呼ばれる下部が広がった形になることが多いもの。しかし調理しやすいと重宝されるのは、真っ直ぐ棒状に伸びたいもです。

なるべく真っ直ぐないもを作るにはどうしたらいいか。佐藤さんが研究の末、実践していることは大きく2つあります。1つ目は真っ直ぐに育ったいもを種いもにすること。種となるいもが真っ直ぐだと、育ついもも真っ直ぐに育つ率が高いのだとか。もう1つは夏の高い気温の影響を受けにくいように畝(うね)の上に高く土を盛ること。気温が高くなると土の中でやまといもが広がってしまうことが多いので、50センチほどの高さに土を盛って、酷暑の影響を受けにくくしています。
 
やまといも栽培の裾野を広げたい佐藤さんが、現在力を入れているのが自家栽培の種いもづくりです。5年かけて研究を重ねた結果、最近は良いものができてきたそう。今は県外からも種いもを購入していますが、実はその費用が高いことがやまといも栽培への新規参入が少ない理由にもなっていると考えています。そのためにもまっすぐな棒状のやまといもを栽培して、それを種いもにすることが不可欠です。
 
種いもは一本のいもを数センチの輪切りにして作りますが、いもは上部と下部で含まれるデンプンの量に差があります。同じ畝(うね)に植えると上部の種いもが先に成長し、畑の栄養分を独占。下部の種いもからできるいもが極端に小さくなることに気づきました。なるべく平均的に大きくなるように、種いもとして切った段階で上部と下部を分けて、畑でも別々に植え栽培期間も調整することで品質のいいやまといもが育っています。
 
最近は、研究熱心な佐藤さんからやまといも作りを学ぼうと近隣に住む農家の後継者が佐藤さんの畑にやってきています。相模原市内でもやまといも栽培を行う農家が高齢化で減少している中、うれしい出来事のひとつです。
 
今後、相模原で品質の良いやまといもが継続して育てられていくには、佐藤さん自身がこれまで大切にしてきた基本的な栽培方法に加えて、資金的な負担となる種いもの購入を減らし、自家栽培する方法を伝えていくことが重要だと佐藤さんは考えています。培ってきた知見やノウハウを惜しみなく次世代に引き継ぐことで、佐藤さんは将来の相模原の農業をも支えたいと考えているのです。

生まれ育った上溝で地域の農業に貢献

都内へのアクセスが良くベッドタウンとしての顔もある上溝地区。江戸時代から商業の中心として栄え、昭和29年まで町役場が置かれるなど相模原の政治、経済の中心地でした。「小学校のころは、役場や郵便局、警察署も上溝にあった」と佐藤さん。結婚前は津久井に住んでいたという妻の節子さんは「今は住宅になっているところもあるけれど、田んぼの間にきれいな川が流れていたんですよ」と懐かしそうに話します。その豊かな土地を受け継いだ農家が、今もさまざまな野菜を栽培して近隣に住む人の食生活を支えています。
 
上溝の文化を象徴する「上溝夏祭り」にも佐藤さんは参加してきました。江戸時代から200年以上にわたって、地域住民によって受け継がれてきたお祭りです。70歳をすぎた最近でこそ神輿を担ぐことはなくなりましたが、祭りの日には自宅前を神輿や山車が通ります。節子さんは近隣の女性たちと協力しあって休憩所のお茶出しに参加するそうです。
 
佐藤さんは、農業委員、農協理事など地元の農家を牽引する役割も担ってきました。特に直売所の開拓は力を入れたことのひとつです。20年以上前は、収穫した野菜は市場に持っていっていましたが、収穫量によっては値段が下がってしまうこともありました。

「当時は若い農家たちが作った野菜を売る場所がないと困っていたんですよ。20年ほど前からスーパーに地場野菜を販売するコーナーを作って、今はそこでみんな野菜を出しています」

以前から地元の大手スーパーと取引があった佐藤さんがきっかけを作り、地元の農家が作った野菜を販売するコーナーを設けることに。今では毎日どこかの農家が野菜を出荷。農家同士が協力することで色々な野菜が集まります。また、価格を担保するための工夫もしています。特に朝採れ野菜として袋にシールを貼って販売すると高く売れるため、佐藤さんの畑でもナスの収穫時期は朝3時から収穫作業を行って販売コーナーに持っていくのだとか。
 
やまといもは佐藤さんの自宅でも直売しているので、近隣に住む人が買いに訪ねてくることもあります。
 
「小さめのやまといもを買っていったお客さんが、コロッケを作って持ってきてくれたことがありました。ホクホクしていておいしかったですよ」と節子さん。援農ボランティア以外にもやまといもを通じて地域の人たちと交流があるようです。
 
やまといもはわさび醤油で和えたり、サラダにしたりしてもおいしく食べられます。佐藤さんは「トロロごはん」や「磯辺揚げ」とベーシックな食べ方がお好みのようです。

生まれ育った上溝で農業を営み、やまといもという特産品でも地域に貢献している佐藤さん。これまで市や農協で表彰される機会が何度もありました。やまといもづくり歴30年にして、ますます研究も楽しいとのこと。「相模原産のやまといもがもっと有名になってほしい。それには生産者を増やさないとな」と希望や期待に満ちています。

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■さがみの長寿いも
https://www.city.sagamihara.kanagawa.jp/sangyo/sangyo/1026665/1003399/1003410/1003412.html
 
■農産物直売所 ベジたべーな
https://www.ja-sagamiharashi.or.jp/market
 
■援農システム
https://www.ja-sagamiharashi.or.jp/einou/center/ennoh


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