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相模原市・藤野を拠点にしたパイプオルガン製作。土地柄が現れる温かい音色に魅せられて

神奈川県の北西、山梨県との県境にも近い藤野は、緑豊かで鳥のさえずりが絶えず聞こえる山間にあります。

藤野は多くの芸術家たちの活動拠点となっていて、横田宗隆オルガン製作研究所も2015年に開設されました。
代表の横田宗隆さんは、少年の頃に荘厳で温かみがあるパイプオルガンの音色に出合って、大学時代にパイプオルガン建造家の道を志します。
大学卒業後は日本で修業したのち、36年もの間、欧米でパイプオルガン製作とその古典的な製法の研究に邁進。世界的なパイプオルガン建造家となりました。
 
日本に戻りパイプオルガン製作の場として藤野を選択した背景にはどのようなことがあったのか、そして藤野の環境をどのように思っているのか、お話しいただきました。

プロフィール
横田宗隆(よこた・むねたか)横田宗隆オルガン製作研究所代表
1952年生まれ、東京都出身。中学生の頃に聴いたバッハのレコードに感銘し、パイプオルガン製作の道を目指す。学習院大学在学中から国内外での修業を経て米国で独立。カリフォルニア州立大学の依頼がきっかけとなり、ヒト・モノを全て現地で調達する手法、「オンサイト・コンストラクション」に挑む。その後、スウェーデン国立イエテボリ大学の客員教授を経て、2015年に帰国したときに「横田宗隆オルガン製作研究所」を設立。現在、パイプオルガン製作と並行して、後進の指導にも力を入れている。東京藝術大学非常勤講師。


14歳で出合ったパイプオルガンの音色と建造家への道

横田宗隆さんがつくっているのはパイプオルガンです。コンサートホールや教会などに設置されていて、大小のパイプに風を送り込むことで音が奏でられることは、ご存知の方も多いでしょう。
 
パイプオルガンが発明されたのは紀元前300年ごろと言われ、世界中に数多ある楽器の中でも長い歴史を持ちます。天文学や神学など多くの学問の影響を受けて発展し、中世になって、キリスト教と結びついてヨーロッパ各地の教会に設置されました。

「19世紀より以前、庶民にとっては教会でのパイプオルガン演奏が、高度で文化的な音楽に触れられる少ない機会でした。だからパイプオルガンは、ヨーロッパでは地域の身近な文化財です。日本で例えるならお地蔵さんや道端の祠のような存在なんですよ」

メンテナンスのために工房に戻ってきた小型のパイプオルガン

横田さんは幼少期からクラシック音楽や古美術が身近にあり、ピアノでバッハを弾く機会もあったなど、古い音楽や美術に親しんできました。パイプオルガンの音に出合ったのは14歳のクリスマス。偶然手に取ったレコードから流れてきたバッハの荘厳な音色に圧倒されます。
 
その一方、おもちゃを作ったり、時計を分解してしまったりする工作好き。高校と大学ではフィールドホッケー部で活躍するスポーツマンでもありました。
 
大学で専攻したのは経済学です。父も祖父も銀行員という家系で、いずれはそれなりの企業に就職することを意識した選択でした。しかし、横田さんが大学時代を過ごした1970年代前半には、60年代から続いていた学生運動がこじれ、凄惨な事件も発生。キャンパスには緊張感が漂っていました。

「本当の意味で社会をよくすることに関わるためにはどうすればいいのかと、真剣に考える日々でした」

熱中していたフィールドホッケーでは、目標としていた日本選抜チームに入ることができず、努力をしても、あらゆる適性がなければ世界レベルに達することができないと思い知らされます。 

自分は一体、どんなことが得意で好きなのか。改めて考え、高校では物理や数学、美術が得意で、時計のような精密機械いじりとバッハの音楽が好きだったことなどを総合すると、パイプオルガン製作への道が浮かび上がったのです。

工房の一角にはこれまで横田さんが製作したパイプオルガンの写真が飾られる

そしてパイプオルガン建造家の辻弘氏に弟子入り。その後アメリカでも修業します。

「初めは大学で勉強したことが無駄になるかもしれないと思いました。でも経済学で用いた統計や数学は非常に役に立っていますし、学部で学んだ学問へのアプローチも研究に役立ちました」

欧米で研究と実践を重ねた、土地柄が現れるパイプオルガンづくり

アメリカに渡って17年を過ごしたのち、スウェーデンの大学では21年もの間、研究者として古い時代のパイプオルガン製作の研究を行ってきました。
 
横田さんはアメリカ在住時、カリフォルニア州立大学でのパイプオルガン製作においてオンサイト・コンストラクションに挑みます。オンサイト・コンストラクションとは、パイプオルガンが設置される場所に移り住んで、地元の大工や指物師といった技術を持つ人たちと、現地で調達できる材料で製作することです。横田さんがチャレンジするまで200年以上行われていませんでした。
 
オンサイト・コンストラクションという製造方法に強く惹かれたきっかけは、20代半ばで訪れたドイツにありました。各地にあるパイプオルガンの音色がその土地に住む人たちの発声方法にどこか似ていると感じたのです。

パイプオルガンは松やナラの無垢材が多く使われる

オンサイト・コンストラクションでは、その土地で手に入る素材を用いるため、特に木材のパーツは、性質に応じてつくり方を変える必要があります。つまり、パイプオルガンは1台1台異なるだけでなく、素材や製造方法には土地柄があり、その結果、土地の人たちに親しみのある音色が生み出されてきたと横田さんは考えています。

いちばん高い音が出るパイプは、直径5ミリ程度。大きなものは大人がぐるっと腕を回すほどの大きさ

「パイプオルガン製作は難しく、苦しい作業の連続です。特に一部だけを担当する職人たちにとっては、全体像が見えず、なおさらつらく感じられます。しかし全体が組みあがり、一体となったパイプオルガンの音色によって苦労が報われ、製作中の辛さをすべて忘れてしまうんです」

パイプオルガンが完成すると盛大に祝われます。工房ではパーティーが催され、教会で検査を兼ねた演奏会が開かれることも昔からの習わしです。こうして、パイプオルガンの音色は製作に携わった人や地域の人に寄り添い、その心を慰める存在になっていきます。横田さんは藤野の地で製作するパイプオルガンも、出荷前に仮組みをしてお祝いのパーティーを行いたいと考えています。藤野でも地域の人たちと一緒に、楽器を製作していると強く感じているからです。

藤野の地で後進育成。パイプオルガンをもっと身近な存在に

海外で長く過ごした横田さんが日本に永住帰国を決めたのはどうしてなのでしょうか? スウェーデンで研究者として60歳を迎えたころ、横田さんは後進の育成について考え始めます。大学ではすでに技術を持った専門家へのセミナーは担当していたものの、若い学生への講義は受け持っていませんでした。

「やっぱり日本の若い人に教えようと考え至りました。日本人でぼくのような研究に取り組んでいた人は今までいませんでしたから」

帰国を心に決めると、関東圏を中心に工房の候補地探しを開始。友人から工芸家や芸術家が集まる土地があると教えられて初めて藤野の地を訪れます。

かつて工場だった場所を使った工房

「友人の紹介で、町役場の職員で町おこしに関わってきた中村賢一さん(現 一般社団法人藤野エリアマネジメント代表理事)に会うことができました。ぼくの仕事は地域にお金を落とすタイプのものではないのに、とても好意的に対応してもらいました」

同じ日、もうひとりのキーパーソンである桑原敏勝さん(現 一般社団法人藤野エリアマネジメント理事)にも出会います。農業生産法人藤野倶楽部を経営し、アメリカでの経験もある桑原さんとはすっかり意気投合。

「役所に中村さんのような人がいて、文化への理解や興味が深い経営者の桑原さんのような人もいる。これは藤野に来たら、おもしろいだろうと思いました」

それから1年半後の2015年に横田さんはスウェーデンから藤野に製作拠点を移しました。

「最初は、地域の人を全員、パイプオルガン製作に巻き込もうと思っていたんですよ。製作にはいろんな形で関わることができるし、高度な技術がなくても、楽器として組み上がるデザインも可能です。でも藤野に来てみたら、工芸家、芸術家が本当に多い。顔の広い中村さんに『こんなことできる人はいないか』と尋ねると、ぴったりの人を紹介してもらうことができました」


革の工芸家・LEATHERCRAFT CHAOS13の大竹貴雄さんは、パイプオルガン製作で身につけた技術が自分の作品にも役立っているそう

現在もアートビレッジにアトリエを持つ皮の工芸家が横田さんの工房を手伝っています。安定した収入の確保以外にも、技術の向上にも役立ち、まさにwin-winの関係だとか。他にも、古くから藤野にある鉄工所のマルヤマ機工や、藤野倶楽部を手がけた関戸大工、材木屋の藤商木材、家具製造のBC工房にも仕事を依頼。設立時に看板の文字を依頼したのは、近くに住む書道家と地域のコミュニティが横田さんの仕事に関わっています。
 
藤野に拠点を移して、8年となる横田さん。水が豊かで、緑と山が多い環境はパイプオルガン製作にプラスの影響があると言います。

「仕事場の裏には、人が入れないような急な斜面の森があります。日々、眺める景色からパイプオルガンの音やバランス、視覚的なプロポーションなどのインスピレーションを受けています」

藤野のさまざまな人と協力関係を保ちながら、いくつかの小型のパイプオルガンや、教会から依頼されたパイプオルガンを完成させてきました。その中にパイプオルガンとしては小さなポルタティーフオルガンがあります。弟子である加藤万梨耶さんとともに作り上げた楽器で、加藤さんが演奏もおこないます。
 
「この楽器を使って、藤野倶楽部でもコンサートを行いました」

15世紀の文献をもとに製作されたポルタティーフオルガンを演奏する加藤万梨耶さん。後ろの装置(ふいご)でパイプに風を送りながら演奏

そして2020年には、組み立て式構造学習オルガンという楽器を製作。音が出る仕組みも含めて藤野地域の子どもたちにパイプオルガンに興味を持ってもらおうと、第一回は藤野芸術の家クリエーションホール、第二回は相模湖交流センターラックスマンホールで「パイプオルガンと遊ぼう!」というワークショップも開催しました。同じパイプオルガンを使って、新進気鋭のオルガニスト竹岡幸平さんを招いた定期演奏会を藤野倶楽部「百笑の台所」でも開催しました。

藤野倶楽部「百笑の台所」で開催されたパイプオルガンの演奏会。横田さんの教え子の竹岡さんが演奏

また、コロナ禍前には工房の見学会も実施。
 
「パイプをつくる作業と鍵盤を作る作業はパイプオルガン独特のもので、ご覧になった方にも好評でした」
 
パイプづくりは、鉛や錫などを炉で溶かすところから始めます。溶けた金属を御影石の上で板状にして、裁断してから丸めて半田付けという作業は中世と同じなのだとか。

製作所でのパイプづくりの様子
現在製作中のパイプオルガン用のパイプ。約3000本が用意される

こうした催しは、日本でもパイプオルガンという楽器が身近な存在になってほしいという横田さんの思いから、やはり藤野をはじめとする周囲の人たちの協力で開催されています。横田さんにはオルガン練習のためのスタジオや、地域の人たちが携わったパイプオルガンがある場所を作りたいという夢もあります。

「ぼくが作るパイプオルガンが、聴く人、あるいは弾く人の気持ちに直接語りかけて、力づけたり、慰めたりするものであって欲しいと思っています」

藤野でつくられたパイプオルガンの音色から、未来のオルガニストやパイプオルガン製作者が生まれ、地域の人たちの心豊かな暮らしにもつながっていくのかもしれません。

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■横田宗隆オルガン製作研究所
https://munetakayokota.com/
 
■藤野エリアマネジメント
https://fujino.town/
 
■藤野倶楽部
https://fujinoclub.co.jp/
 
■LEATHERCRAFT CHAOS13
https://www.leathercraft-ck13.com/
 
■BC工房
http://www.bc-kobo.co.jp/
 
■百笑の台所
https://fujinoclub.co.jp/restaurant